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Ma Petite Brocante

フランスのブロカントで訪れた街、ブロカントで見つけたお気に入りの紹介、フランス各地を訪れた旅の記録。
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ツタンカーメン・ファラオの秘宝展(Toutânkhamon, le trésor du Pharaon)

フランス南西部の旅の記録の途中なのですが、2019年3月23日~9月22日までパリのラ・ヴィレットで開催されている「ツタンカーメン ファラオの秘宝展」に行ってきました、もうすぐ閉幕です。

エジプト考古学、あまり興味がないので子供たちの付き添い、くらいの気持ちでいたのですが、9月はじめにRMCというチャンネルでクフ王のピラミッドの内部を2年間に渡り調査するルポルタージュを見て俄然興味が湧いてきました。
番組の内容は、名古屋大学の森島教授の研究チームが原子核乾板を用いた宇宙線ミューオンの透視(宇宙から降り注ぐ素粒子ミューオンを使ってレントゲンのように可視化する)により、ピラミッド内部に空間があることを発見。
赤外線やレーダーなど別の方法で研究していたフランスやカナダのチームも同じ場所に未知の空間があることを発見した、というもの。
その未知の空間がツタンカーメン王の墓のように宝物で溢れていたなら・・・と想像するだけでも楽しい。
こういうモチベーションで見に行ったのでとても楽しめました。


Parc de La Villette
GRANDE HALLE
75019 Paris
2019年3月23日~9月22日
9月21日までは8時~24時まで開館
9月22日は8時~21時30分まで
料金 : 大人 平日22€、週末24€ / 4-14歳の子ども 平日18€、週末20€/ 4歳未満 無料
ウェブサイト https://lavillette.com/programmation/toutankhamon_e185
8月下旬にチケットをネットで購入して学校が休みの水曜日に行きましたが、時間指定とはいえ1時間以上並びました。
今サイトを見たら、既に完売しているようでネットでの購入はもう不可能な模様。
現地で直接だったら買えるのでしょうか。




古代エジプト第18王朝のファラオ(紀元前1333年頃 ~ 1324年頃)であるツタンカーメンは、18~19歳の若さで逝去し、ルクソール近郊の王家の谷に副葬品と共に埋葬されました。
1922年11月4日に、イギリスのカーナヴォン卿がパトロンとなり考古学者ハワード・カーターにより墓が発見されました。
記録されている古代エジプトのファラオは約90人、すべての墓は盗掘されていて、ツタンカーメンの墓だけが無傷のまま発見された。

この展覧会では、ツタンカーメン王の墓で発見された宝飾品、装身具、彫像など150点が展示。
そのうちエジプト国外では初公開となる品が50点。
これらは2022年ツタンカーメンの墓発見100周年記念に開館予定のギザのピラミッド近くに建設中のエジプト大博物館に収められる予定の物で、これがエジプト国外での見納め。



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ルーブル美術館所蔵のアモン神。
ファラオを守る神で、墓が発掘された当時ピラミッドの入り口に立っていた。






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後ろにはヒエログラフが書かれている。
1か月半ほど前にヒエログラフを解読したシャンポリオンの生誕地、フィジャックを訪れたのでなんだか色々繋がるなぁと思い返してみたりしました。






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画像が小さいですが、ファラオの玩具。
チェスのような感じです、象牙でできています。
この時代のモノづくりの技術が凄い・・・・、宇宙人の仕業かと思う…。






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陶器の水差し。
鮮やかなブルーが綺麗。
いびつではなく整っていて3300年以上も前のものとは思えません。






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方解石(カルサイト)製の瓶。
左側のはパピルスの花と蓮のモチーフが施された香油入れだそう。
右のも花弁の型で、植物とヒエログラフが書かれている香油入れ、ツタンカーメンとその妻、アンケセナーメンの台座の上に置かれていた。






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ツタンカーメンが9歳で王位に就いた時の玉座。
木と象牙、金箔でできていて、足を置く台もあります。






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ツタンカーメンの寝台。
木製に金箔。
エジプト国外で展示されるのは初めての物だそう。






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木製に金箔が貼られた扇。
半円形の部分には小さな穴が一列に開いていて、そこにダチョウの羽が差してあったのだそう。






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彫刻が施された弓矢。
ハワード・カーターとそのチームは、ツタンカーメンの墓で5398点ものオブジェを発見し、その中には弓が80点、矢が400点もありました。






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儀式用の盾。







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30数点の金が塗られた木製の小像があり、これはそのうちのひとつ、「小舟の上で鑓を放つツタンカーメンの小像」。
高さ75センチの小さな像。






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la couronne blanche(クーロンヌ・ブランシュ)という古代エジプトの被り物をしたツタンカーメン。
脚が一歩踏み出しているので動きが感じられる像です。






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こちらは創造神Ptah(プタハ)の高さ60センチの像。
プタハは頭巾を被っており、それを青の陶器で表している。
建築家の守護神であり、墓を建てた者たちや埋葬品の守護のため一緒に埋葬された。






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190センチもあるこの像は等身大のツタンカーメン。
2体あって、埋葬の部屋の前に立っていたそうだ。






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ミイラの周囲には黄金のバンド。
スカラベや鳥、ツタンカーメンの名前や守護するための言葉がヒエログラフが書かれており、それらはラピスラズリや七宝で彩色されている。
3300年も昔にこの技術、やっぱり宇宙人かな・・・。






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下は展覧会のポスターにもなっている金製のカノプス(canope)。
王が死後の世界で生きるのに内臓が必要との考えで、遺体をミイラ化する前に取り除いた内臓を納めていた。
ポスターで見ると大きい物かと思っていたら、高さ39、5センチの小さなものです。

上は方解石製で、王の頭が壺の蓋となっている。







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宝飾品の細工が素晴らしかった。
スカラベモチーフはあちこちで見られました。
ラピス・ラズリの青がとてもきれい。
そういえば、小学生か中学生の頃、エジプト展に行ってスカラベのブレスレットを買ったことを思い出しました。






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細工がとっても精密でため息が出ました。
金、ラピスラズリ、ターコイズ、紅色玉髄(ぎょくずい)石、水色のガラスでできたペンダント、美しかった。







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翼を広げた鷹の金製ペンダント。






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ヒマラヤスギでできた脚付きの箱。
ヒエログラフで縁取られています。


他にも陶器製のヘッドレスト、ブーメラン、トランペットなどなど興味深い副葬品がたくさんありました。






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ツタンカーメンのミイラの写真。
黒い樹脂で塗られている。
黒い肌で描かれている冥界の神オシリスのように、黒く塗ったらしい。

父親アケトナンには愛されていなかったようで、ツタンカーメンの名はどの文献からもわざと消されたり、近親相関(父親と母親は兄妹の間柄)で生まれたせいで病気がちで体が弱く、足も悪かったらしい、死因はマラリアと言われている。
妻は異母姉妹で、女の子供2人は死産、胎児のミイラが発見されている。






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ツタンカーメンの墓の見取り図。

ちょうど展覧会に行った翌日、France 5でツタンカーメンの墓についての番組を放送していました。
なぜ3300年以上も発見されなかったのか、という内容でした。

先にも書いたように石碑や文献から名前を消されたり、他の名前に書き替えられ存在を抹消されていたこと。
王が予想外にも若くして亡くなったので大きな墓を作る暇がなく小さなものになったこと。
埋葬の部屋に続く通路は石の壁のあとに無数の大きな石で埋められ、また通路や部屋があると石の壁、無数の石…の繰り返しで幾重にも防護されていた。
王家の谷には無数の墓があり、ツタンカーメンの墓の上に周囲の墓を発掘した際の土砂が積まれ埋もれてしまって発見に時間が掛かった・・・・と展覧会を見た直後にとてもタイムリーで興味ある番組でした。

今まで足早に通り過ぎていたルーブル美術館のエジプト部門、行きたいけど大きな美術館は疲れます…。
貴重なものをたくさん見れた良い機会でしたが、ヴィレットも時間指定であっても並んで、入場制限してあっても内部は人でごった返しててちょっと疲れました。

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リュクサンブール美術館『アルフォンス・ミュシャ』展 ②

パリ6区、リュクサンブール美術館のミュシャ展の続きです。

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2枚組、4枚組の装飾パネルもたくさん描いていて、こちらは4連作「四季」(1896年)

「春」






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「夏」
今回の展覧会のポスターにもなっている。






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「秋」






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「冬」

他にも「花」「芸術」「宝石」「星」など4枚組の装飾パネルを描いている。






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1896年
「舞踏」「絵画」
「詩歌」「音楽」






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「パリの寓意像を表した飾り皿」(1900年)や彫金も。

ミュシャは経済的理由から仕事を受けることもあり、レストランのメニュー表やカレンダーのデザイン、そして自分のモチーフが皿などふさわしくない素材のものに使われても抗議しなかったそうだ。






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1901年、パリ・ロワイヤル通り6番地のジョルジュ・フーケの宝飾店のファサードとインテリアのために、絵画、ガラス絵、ブロンズなどをデザインした。






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パリ万博のためにジョルジュ・フーケがミュシャに宝飾コレクションのデザインを依頼して作られた装身具。






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1908年「レスリー・カーター」

アメリカの女優、レスリー・カーターのポスター。
サラ・ベルナールの芝居のポスターに装飾やスタイルを似せて作ったもの。
描かれている装身具は、フーケのためにデザインしたもの。






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数年前カルナヴァレで撮った写真が手元に残っていました。

1923年フーケ宝飾店は改装のため閉店、装飾の全ては解体撤去され、1941年その一部がカルナヴァレ美術館内に移築されました。

Musée Carnavalet
16 Rue des Francs Bourgeois
75003 Paris
(2016年から改装工事のため閉館中、2020年再オープン予定。)






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アール・ヌーボー様式のレストランなどパリに数軒残っているけど、宝石店に相応しく豪華に飾られています。






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床のタイルや壁面装飾、ブロンズ像にガラス絵とこれでもかというくらい細部のデザインが凝ったミュシャ・スタイルてんこ盛りな内装です。

解体撤去されてもったいないと思う反面、カルナヴァレの中に展示されることできちんと保存され、今でも見ることができるので結果これで良かったのかもしれません。






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 「古代ギリシャの恋人たち」の下絵。






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1902年には「装飾資料集」を発表。
カトラリー、食器、家具、人物像、装飾品などの素描集。






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1910年に祖国へ戻り(あんなに人気を博していたのに、この頃はパリでの評価は悲惨な状態だった)、後期の制作期が始まります。

プラハ市庁舎ホールの壁画や聖ヴィート大聖堂のステンドグラスのデザインを描いたり、愛国心からスラブの神話の制作に取り掛かり、1928年に20枚からなる連作「スラブ叙事詩」が完成。
これもまたあまり評判ではなかったようです。

というのも、1914年には第一次世界大戦が勃発、1918年チェコスロヴァキア共和国誕生(1939年ナチスによりチェコスロヴァキアは解体される)という歴史があり、その間に世界も人々の考えも変わり、祖国の状況も変化しました。
周辺諸国の注意をスラブ民族とチェコ国民に向けさせるための「スラブ叙事詩」は、独立し近代的に発展しようとする国家にはもう不要なものと判断されたのです。

その後何十年か完全に忘れられたあと、再び良い方に評価されるようになりました。






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連作【四つの時の流れ】のひとつ、「夜の安らぎ」
うちの壁に飾っている10年くらい前ブロカントで見つけたとってもチープな作りと素材の鏡。

スラブ叙事詩など後期作品の写真がほとんど上手く撮れていなかったのですが、パリ時代の華やかなポスターやリトグラフの数々~作風がガラッと変わる民族主義風の絵まで順を追って見れてとても良い展覧会でした。

アルフォンス・ミュシャ展
2019年1月27日まで開催
毎日10時半~19時まで(毎週金曜は22時まで)
12月25日休館
12月24日、31日は10時半~18時まで

リュクサンブール美術館
19 Rue de Vaugirard
75006 Paris

大人13ユーロ(入場時間指定のチケットだと優先的に入場可能。プラス1,50ユーロでネットから購入できます)
詳細はこちら→

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リュクサンブール美術館『アルフォンス・ミュシャ』展 ①

2018年9月12日~2019年1月27日までパリ6区リュクサンブール美術館で開催されているアルフォンス・ミュシャ展に行ってきました。
私の好きな画家3本の指に入る、というか多分いちばん好きな画家。
画家としてだけでなく、広告デザイン、宝飾デザイン、インテリアデザインまでこなした19世紀から20世紀初頭のアール・ヌーボーの芸術家です。


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初めてミュシャの展覧会を見たのは30年近くも昔のこと。
1989年から3年に渡って、日本各地で「ミュシャ 没後50年記念展」が開催されました。
高校生だった私はミュシャのポスターに描かれた艶やかな女性像と細かな装飾にえらく感動し、それ以来アール・ヌーボーに興味を持つようになり、更にはベル・エポック(良き時代)のパリにまで思いを馳せるようになりました。
30年前に買った画集は今でも大事にとっていて時々パラパラとめくっています。

久々に再会したポスター、たくさん展示されていて至福のひと時でした。






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1901年頃 アルフォンス・ミュシャ

1860年7月24日チェコスロヴァキアのモラヴィア地方生まれのアルフォンス・ミュシャ。
特に1894年から1904年までの10年間のパリ生活で大成功を収めた。






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1895年「ジスモンダ」

1895年に描いたサラ・ベルナール主演「ジスモンダ」の上演ポスターをきっかけに大人気となり、サラ・ベルナールはミュシャと6年間の独占契約を結びました。
その間に「椿姫」や「ロレンザッチオ」、「メディア」「ハムレット」などの7点の劇場ポスターを手掛け、そのほとんどを今回見ることが出来ました。






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1899年「ハムレット」

ポスターのほとんどは高さ2メートルの大きなもので、パリのポスタースタンドに貼られていた。

サラ・ベルナールの舞台での髪型を忠実に描き、上部の半円の中にはハムレットの父親の亡霊を、下の長方形にはオフェーリアの亡骸が描かれている。






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1896年「黄道十二宮」

ミュシャの絵の中で一番好きなのがこれ、1896年制作の「黄道十二宮(ゾディアック)」。
実家にはもう色褪せてしまったけど、このポスターが貼ってあります。

黄道とは、太陽と月と主な惑星が見かけ上その中を運行するとされる天球上の円形帯状区域のこと。
十二宮は、黄道を十二等分しそれぞれに星座を配したもの。

この絵は、円形の中に十二宮の星座が描かれていて、雑誌「ラ・プリュム」のカレンダーとして売り出された。






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1899年 「モエ・エ・シャンドン社 シャンパーニュ・ホワイト・スター」

広告のポスターもたくさん手掛けていて、こちらはシャンパーニュのモエ・エ・シャンドン社のためのポスター。
弾ける細かなシャンパーニュの泡と、シャンパーニュを飲む贅沢な時間がこの女性像と色に現れているようで大好きな絵のひとつ。






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ビスケットで有名な「LU」のポスター。





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ビスケットの箱や缶が保存状態良好で残されているなんて!
ブロカントでありそうでなさそう。





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ノズル式香水「RODO(1896年)」のポスター。






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香水のラベルも瓶も中も完璧に残っている模様、凄い。






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石鹸箱の包装紙。

他にもタバコ、ビール、自転車メーカーのポスター、カレンダーやレストランのメニュー表も描いていて、当時は街中や商店にミュシャの絵が溢れていたのかと想像したら、ベル・エポックと言うくらいの時代です、便利さは現代と比べられないけどやっぱり羨ましい時代。

パリには当時、トゥールーズ・ロートレックもジュール・シェレもいたし、これらのポスターが街なかに貼られていたなんて、通りが既に美術館みたいです。

しかもポスターや装飾パネルは大量に発行され、安価だったので貧しい階層の手元にも届いたのだそうだ。






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1900年開催のパリ万国博覧会のためのポスター。

ミュシャはボスニア・ヘルツェゴヴィナ館の内装を手掛けた。






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上段は1896年タバコの「JOB」
下段は1897年「モナコ・モンテカルロ」






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1897年「モナコ・モンテカルロ」

パリ-リヨン-マルセイユ鉄道事業団のために作られた観光広告。

リュクサンブール美術館
19 Rue de Vaugirard
75006 Paris

アルフォンス・ミュシャ展
2019年1月27日まで開催
毎日10時半~19時まで(毎週金曜は22時まで)
12月25日休館
12月24日、31日は10時半~18時まで

大人13ユーロ(入場時間指定のチケットだと優先的に入場可能。プラス1,50ユーロでネットから購入できます)
私は13時半のチケットをネット購入して行ったのですが、並んでいる人はいなくてすんなり入れました。
内部は相当混雑していたのですが、午前中だったらもっと人が並んでいたのでしょうか。
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リュクサンブール美術館「Fragonard展」

2015年9月16日~2016年1月24日までリュクサンブール美術館で開催中されていたJean-Honoré Fragonard ジャン・オノレ・フラゴナール(1732~1806)の展覧会、「Fragonard amoureux. Galant et libertin 恋するフラゴナール展-粋人と放蕩者」、最終日間近になってやっと行ってきました。

18世紀、ルイ15世の治世(在位1715~1774年)に流行した甘美で優雅なロココの時代を、絵で、色で表現しているフラゴナールの官能的な風俗画がとても好きです。

政治は二の次、恋愛が大事だった宮廷生活が垣間見れるような不道徳だけどロマンティックな「恋愛と官能」を多く描いたフラゴナールの絵画やデッサンが堪能できる展覧会。




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美術館に行ったのはテロ後初めて。
いつもは階段を上り建物に入ったところで荷物検査をしていたのですが、今回はこの門の所でバッグチェックと、コートの中もチェック。
気温氷点下なのにここでコートはだけるの?と思わず二度聞きしてしまったのは私だけではなかったようで、私の後ろにいた年配のマダムも「年寄りは風邪ひくわ」と言っていました。
入館後に問題があってからでは遅すぎるし、当然のセキュリティー・チェックです。





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そんなに混んでなくて(並ばずに入場できたくらいなので)じっくり鑑賞できました。





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「L'aurore triomphant de la nuit ヴィーナスの目覚め」
1755~1756年頃 ボストン・ファインアート美術館

くすんだ青やローズ色、山吹色といった夢心地な色に、俗世とは程遠い世界の安らかな顔のヴィーナス。
ルイ15世が、「18世紀に生きた者でなければ人生の甘美さは知らない」というようなことを言っていたと思うけど、まさにフラゴナールやブーシェの絵はそれを体現しているかのような優雅さ。





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「L’Amour-folie 愛と狂気 」1773-1776年頃 ワシントン・ナショナルギャラリー蔵

Jean de La Fontaineジャン・ド・ラ・フォンテーヌ(1621~1695年)の寓話、 「L’Amour et la Folie 愛と狂気」をテーマに描かれたもの。






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「Le Verrou かんぬき」 1777~1778年 ルーヴル美術館蔵

晩年の代表作。
部屋の中で若い男が嫌がる素振りを見せる若い女を抱き寄せながら、扉のかんぬきをかけている。
スポットライトが当たってとても劇的で印象に残る絵です。

フラゴナールの絵の中でも有名なこの絵の他にもロンドンのウォレス・コレクションの「ぶらんこ」と、ルーブル美術館蔵の「エチュード」が見れるかと期待していたけど、貸与できなかったようで残念でした。






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「La Chemise enlevée 奪われた下着」 1770年 ルーヴル美術館蔵

天使が寝台に横たわる若い女性の下着を奪う情景を描いた作品。





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「Les début du modèle」 1770~1773年頃 ジャック・マール・アンドレ美術館蔵





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「Le serment d'amour 愛の誓い」 1780年頃 個人蔵

額縁の上部には、仲睦まじい二羽の鳥(平和と純潔の象徴である鳩?)の装飾、ちゃんと絵のテーマに合わせてあるのが興味深い。






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「La laitière et le pot au lait 乳しぼりの女とミルク壺」
1768年頃 Musée Cognacq Jay コニャック・ジェイ美術館蔵

Bonaventure des Périers ボナヴォンチュール・デ・ペリエ(1510年頃生誕)というフランス人作家が1558年に書いた寓話の中の「Perette ペレット」という登場人物にインスピレーションを受けて、ラ・フォンテーヌが書いた寓話「乳しぼりの女と牛乳壺」の為の挿絵。

ラ・フォンテーヌの寓話をかいつまむと、ペレットという若い女は、搾ったミルクを壺に入れて売りに行く途中、売れたら卵を百個買っていくつかはニワトリに抱かせ増やし、卵がヒナに孵ったらそれを売って豚を買い、豚を太らせて売ったら今度は牛を買い・・・と想像を膨らませ、すっかり金持ちになった気分で飛び跳ねたら、壺が落ちてミルクがこぼれてしまった。
壺もミルクも、想像していた卵もヒナも豚も牛もすべて消えてしまった…という話。

絵は壺からこぼれたミルクと、ペレットの妄想が消えてゆくのを煙のように表現したのでしょうか。




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「L'Inspirqtion ou Portrait présumé de Louis-François Prault
霊感 またはルイ・フランソワ・プローとされる肖像画」
1769年 ルーブル美術館蔵

肖像画の人物が何か気配や霊感を感じて振り向いた瞬間の様子。





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ジャン・ド・ラ・フォンテーヌの寓話本の挿絵 パリ市立プティ・パレ美術館所蔵

恋愛文学やルネサンス文学の愛読家であったフラゴナールは、テーマを選りすぐり挿絵を描いた。


フラゴナールは香水で有名な南仏グラースの出身。
革手袋製造業の家に生まれた。なめした革にはきっとグラース産の香水で香りづけしたのでしょう。
グラースに本社、工場がある1926年創業の香水店「Fragonard」、パリでも有名です。
20年前からフラゴナールの香水「Soleil」と、男性用だけど「Eau de Hongrie」と 「Beau gosse」を愛用しています。

20年前グラースを訪れた5月はバラ祭りの時季で、フラゴナール美術館内もバラで覆いつくされ絵画を堪能した記憶は一切ないという残念な思い出。
もう一度行きたいものです。

Villa-Musée Jean-Honoré Fragonard
23 boulevard Fragonard, 06130 Grasse

Le musée du parfum
au 1er Etage de l'Usine Historique
20 bd Fragonard
06130 Grasse

Boutique Fragonard Haussmann
5, rue Boudreau 75009 Paris
(月)~(土) 10時~20時

「パリの香水美術館 Musée du Parfum Fragonard」
3-5 square de l'Opéra Louis Jouvet
75009 Paris
開館:(月)~(土) 9:00~18:00
入場無料

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グラン・パレ Élisabeth Louise Vigée Le Brun展

2015年9月23日~2016年1月11日までグラン・パレで開催中のマリー・アントワネットの肖像画を描いたことで有名な女流画家・Élisabeth Louise Vigée Le Brun (1755-1842)展に行ってきました。

パリで起こった同時多発テロの前日に鑑賞したのですが、しばらくはこういう人が多く集まる施設へ足を運ぶのは控えた方が良さそうです。

フランスでは今も誰もが記憶しているであろう衝撃的だった2012年トゥールーズ近辺で起こったミディ=ピレネー連続銃撃事件から、今年はフランス国内だけでもシャルリー・エブド襲撃事件、パリ南郊ヴィルジュイフの教会爆破未遂(近辺で女性一人射殺)、リヨン郊外ガス工場襲撃、タリス内発砲事件などが起こっており、しかも核搭載空母シャルル・ド・ゴールを中東に派遣という流れから、いつかまたどこかでテロが起こると予想し、心構え、覚悟はしていたつもりでした、とはいえ、怖さとショックでいっぱいです。

2012年の事件以来、銃弾の前には無力で些細な注意ですが、学校の送迎時には不審者・車はないか気を付けるようになったし、デパートや美術館、駅、ショッピングモールでは出入り口・非常口の確認、電車やメトロ内でも乗客を観察し、特に人の多いパリではスリもいるし周りをそれとなく観察し、自分が外国人であることをいつも念頭に置き、気を引き締めて歩いています。

リュクサンブール美術館で開催中の「フラゴナール展」もこの日行くはずが時間がなくて後日行くことにしたのですが、来年1月24日までの開催中に行けたらいいけど、全く行く気がしません。
残念なことですが、そういう場に出くわしたら自分では防ぎようがないし、もうどうしようも逃げ場がないと思うので、行くのを控えるくらいしか身を守る方法はありません。
人間はいつか必ず死ぬのに、殺人だの自爆だのとなぜ静かに平和に寿命まで待てないのでしょう。

とにかく今は犠牲者・遺族の方々のために祈り、危機感を持って行動する、そしてテロリストが生まれる原因となった背景(フランスとイギリスが都合の良いように中東に勝手に引いた国境線、アルカイダを生んだアメリカ、石油利権の為にシリアに軍事加入したフランス等々)と歴史、現状を正しく知り、理解する事が大事だと思うのです。







さてエリザベス・ルイーズ=ヴィジェ・ル・ブラン展、ヴィジェ・ル・ブランは1780年頃からフランス宮廷の人々の肖像画を描き始め、マリー・アントワネットお気に入りの画家となり、優しいまなざしで子供の姿を描き、フランス革命中はヨーロッパ各地の宮廷で肖像画を描いた女流画家。
多数の肖像画がテーマ別、時代別に見れる素晴らしい展覧会。





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Louise Élisabeth Vigée Le Brun, Autoportrait (1790)

マリー・アントワネット(左上にかすかに見える)の肖像画を描いている最中のセルフポートレート。
(35歳の時のだけど、若過ぎるような・・・?)
1778年から1818年までの40年間に37枚のセルフ・ポートレートを残しています。 

11歳で修道院を出た後、画家である父や、画家のジャン・バチスト・グルーズやユベール・ロベール(の肖像画も描いている)にアドバイスを受けています。
初めて絵の注文を受けたのは13歳の時。





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Marie Antoinette en robe à panier en satin blanc (1778) Musée d'histoire de l'art de Vienne

今回、ウィーン歴史美術館所蔵のこの絵が見たくて足を運んだのですが、多分2008年のマリー・アントワネット展(グラン・パレ)でも見てるはずなのに、やっぱり感動。
一度隣の展覧室へ行ってはまた戻って見る、を4回繰り返してやっと退室。





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優雅なドレスは今にも衣擦れが聞こえそうなほど現実味に溢れ、しかもかなり大きな絵(273x 193,5 cm)で迫力がある。






Marie-Antoinette et ses enfants(1787) Musée national des Châteaux de Versailles
左の大きな絵(275x215 cm)はヴェルサイユ宮殿にあるマリー・アントワネットと子供たち。

ヴィジェ・ル・ブランは、1778年~1788年までに約30点近いマリー・アントワネットの肖像画を描いており、王立アカデミー初の女性会員となったのもアントワネットとルイ16世の口利きによる。





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Marie-Antoinette « en gaule »1783
麦わら帽子に白いモスリンのガリア風(La gaule)ドレス姿のマリー・アントワネット。

原画は現存しないらしいけど、ヴィジェ・ル・ブランによる5枚の複製品がヴェルサイユ宮殿、プチ・トリアノン、ワシントンの美術館、ドイツの個人蔵などに現存してて、これはそのうちの一枚。
1783年の絵画展に出品されたが、王妃らしからぬ質素な衣装のせいで「ぼろをまとうほど落ちぶれた、オーストリアの姿をしたフランス」と落書きされたため、すぐに取り外されたいわくつきの絵。






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Portrait de Madame du Barry (1781) Philadelphia Museum of Art
ルイ15世の最後の愛妾、デュ・バリー夫人の肖像画。

1774年のルイ15世の死去により宮廷を追われた後、その後の愛人ド・ブリサック元帥(革命時のパリ軍司令官)の注文により1781年に描かれたもの。

デュ・バリー夫人はフランス革命が勃発してイギリスに逃亡していたのだけど、フランスに置いてきた宝石が気になって戻ってきた(と言われている)ところを逮捕され、1793年断頭台送りとなってしまった。

断頭台に登った多くの人々は諦めたかのように静かに刃の下に首を差し出したが、デュ・バリー夫人だけは泣き叫び、暴れて命乞いをした。
ヴィジェ・ル・ブランは回想録の中で、「多くの人たちが彼女のように必死で命乞いをしていたら、恐怖政治はもっと早く終わっていたかもしれない」と綴っている。





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Marie-Joséphine de Savoie(1753-1810) 
こちらはルイ18世の妃、マリー・ジョセフ・ド・サヴォワ。

この展覧会で思ったのは、とにかく額縁が豪華なこと。
額縁だけに焦点を当てて見ても面白いと思った。
絵を引き立たせるための洋服みたいなものだけど、地味目なこの妃の肖像画が立派な額縁で引き立てられている。







母性に満ち溢れたこの女流画家は、たくさんの子供や赤ちゃんも絵の対象にしている。






Auto portrait avec Julie , sa fille (1786) Musée du Louvre, Paris

ヴィジェ・ル・ブランと1780年に生まれた娘、ジャンヌ・ルイーズ・ジュリーの肖像画。





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Portrait de Jeanne Louise Julie Le Brun (1787)

娘・ジュリーが7歳の時の絵。
鏡を覗き込むジュリーがとっても愛らしく、鏡に写った表情も見える珍しい構図で、とても印象に残る絵。





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Jeanne Louise Julie Le Brun en baigneuse (1792)

こちらはジュリーが12歳の時のもの。
 




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ここからはフランス革命が起こってから、ヨーロッパの各国宮廷で描かれた肖像画。
とにかくたくさん残っています。

1789年10月5日、ルイ16世一家がヴェルサイユからパリのチュイルリー宮殿に連行された日の夜、ヴィジェ・ル・ブランはジュリーと共にパリを後にしてまずリヨン近郊のシャンベリーに逃げます。
このとき逃げていなかったら間違いなくギロチンに掛けられていたでしょう。

その後、11月にはローマに到着、イタリアに2年間滞在し、イタリアの宮廷人たちの肖像画を描いています。
髪型や衣装がやっぱりローマ風。
撮影不可の絵の中に、マリー・アントワネットそっくりなものがあったのですが、それはアントワネットの姉でナポリ王妃兼シチリア王妃、マリア・カロリーヌの肖像画でした。





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1792年にはオーストリア・ウィーンへ移住。

1795年にはロシアに渡り、サンクト・ぺテルスブルグの宮廷で肖像画を描き続けます。
多分この男性もロシア宮廷の人だと思うけど、なんだか写真よりも人間味があるというか、その人の性格までも滲み出ている気がします。

1802年から1805年の間はパリとロンドンを行き来し、1807年にはスイスへ。

マリー・アントワネットの肖像画と、娘とのセルフ・ポートレートしか知らなかったので、今回の展覧会でたくさんの肖像画の数(生涯で660枚描いたそうだ)に驚き、あちこち移動して描いていたことにも驚きました。






Auto portrait (1800) Hermitage, St. Petersburg
1800年、ロシアで描いたセルフ・ポートレート。

1809年、やっとフランスに戻り、ヴェルサイユにほど近いルーヴシエンヌに住みます。

1842年3月30日パリで亡くなり(87歳)、ルーヴシエンヌの墓地に埋葬。
フランス革命がなかったらここまで各国を転々としていなかったんでしょう、そうしたらずっとフランスにいてどんな絵が残されたのかも気になります。


展覧会は2016年1月11日までグラン・パレで開催。

Exposition Élisabeth Louise Vigée Le Brun
23 Septembre 2015 - 11 Janvier 2016
Grand Palais, Galeries nationales
3 Avenue du Général Eisenhower, 75008 Paris

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