Ma Petite Brocante

フランスのブロカントで訪れた街、ブロカントで見つけたお気に入りの紹介、フランス各地を訪れた旅の記録。
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フランス北東部の旅⑦Bar-le-Duc

最終日はバル・ル・デュック。
モンメディかヴェルダン辺りで宿泊できたら、と思っていたのだけどこの週は連休な上にとても好天でホテルが見つからず仕方なく何とか一軒だけ見つかった宿泊先がバル・ル・デュック。
ところが思いがけずここに来て良かったと思わせるような素敵な街でした。



ミューズ県(Meuse)の南西部地域を、バロワ(Barrois)と呼ぶのですが、その中心がバル・ル・デュック。




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古い建物が立ち並ぶ「中世の地区」と呼ばれる高台にある「上の街」から見た、現在の中心部「下の街」。

上の街は店が少なく歴史的建造物や古い建物が集中しており、ブティックやカフェ、駅などは下の街に集中している。

モンメディにも一緒に行ったのだけど、上の街の大学に通っていた夫の友人が「地元」のガイドをしてくれた。
何度も一緒にヴァカンスを過ごしている人で、建築や歴史に詳しいので楽しめる。






中世の地区と言われるだけあって、古い建物が並ぶ通りは美しい。
特に目に付くのが、カラフルな雨戸。
雨戸と看板、雨戸と中のカーテンなどちゃんと同系色を組み合わせていて、いつもながらフランス人の色の組み合わせのセンスの良さには感嘆する。





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殆どの見どころは「上の街」に集中していて、これはその中心にあるサン・テティエンヌ教会(Eglise St-Etienne)。
開館日がかなり限定されているので要注意です。

開館日
4月3日~5月17日: 金・土・日 :14時~18時
5月18日~9月20日: 毎日10時半~12時/13時半~18時半
9月25日~11月1日: 金・土・日 :14時~17時
祝日(4月3日~11月1日までの): 14時~18時

教会に入って左手には観光案内所(臨時だと思うけど)もあります。






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教会の中にある「Transi de René de Chalon」(ルネ・ド・シャロンの骸骨の彫刻)

ルネ・ド・シャロンは、シャルル・カント (Charles Quintカール5世1500-1558年 ハプスブルク家出身の神聖ローマ皇帝)の寵臣で、1544年25歳で戦死した。
妻とはバル・ル・デュックで結婚しており、死後の心臓と内蔵は取り出され、「デュック・ド・バル城」付属の参事会に納められた。

リジエ・リシエ (Ligier Richier 1500年頃~1567年 彫刻家)が、墓碑として作製。
第一次世界大戦中は、パリのパンテオンに疎開して無傷だったが、2000年代に教会の湿気などでダメージが多く修復されている。





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不気味だけど美しい彫刻です。

この像の下には、この地方の権力者とその妻たちの骨も納められている。




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キリストの磔刑。
キリストと一緒に処刑された2人の男性、3体並んでるのは初めて見ました。




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教会の壁には戦争時の銃弾の後が無数に残っている。

北東部を車で走っていると、白い十字架の墓石が何百基と並んだ墓地を見かけるし、何よりVerdun(第一次世界大戦でフランス軍とドイツ軍が戦った激戦地)が近いので、嫌でも戦争に関係した建物を見る事になる。






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教会前の広場の建物。
古いけど美しい。
でも手入れされてなくて人が住んでる気配がない建物が多いのが残念。





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「上の街」は煤が洗われてない建物が多くて、より一層古さを感じて好感が持てるけど、手入れされてないとこの先も現存出来るのかが心配になる。






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茶色の木組みの建物は教会前広場の中でも最も古い15世紀のもの。
地上階(一階)の面積で税金が決まるので、地上階より上部が出っぱって、上部の面積が若干広くなっている。

日本では江戸時代、間口に税金がかけられていた為、間口が狭く奥行きがある家屋が建てられたのと同じ発想。

Place Saint-Pierre




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バロワ美術館(Musée barrois)となっている15世紀のデュック・ド・バル城(Le chateau des Ducs de Bar )。
歴代のバル公爵/侯爵の住居だった。

http://museebarrois.eklablog.fr
Rue François de Guise
55000 Bar-le-Duc

開館日
9月~6月→水・木・金・土・日 14時~18時
7月、8月→毎日14時~18時




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現在は分断されてぽつんと立っているけど、以前は城と繋がっていた12世紀の時計塔(Tour de l'Horloge)。




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1716年、ロレーヌ公爵サルム家により建造されたサルム館。
歴史的建造物となっているので見上げていたら、ここに1973年から住んでいるというマダムが中から出てきて、エントランスを見せてくれた。

Hôtel de Salm
38 rue du Tribel
55000 Bar-le-Duc



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修復されているけど当時を彷彿とさせる優雅な柱と階段。

今はアパルトマンとして分譲され、裏庭には花一つなく、草が生え放題、壁に沿ってずらりと現代風な、でも使用している人もいないらしい倉庫が並んでいて(上の写真の左側・馬車用の門の奥に見えるのがそれ)、マダムは嘆いていた。

歴史的建造物を維持するには、相当な費用が掛かるし、勝手に手をつけることも出来ない。
市が負担してくれるのも期待できず、大きな企業がバックアップしてくれたらと言っていた。





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どの家のファサードもバルコンもドアも古く、装飾が凝っている。
この家のドアの両脇下段には靴の「泥落とし」も健在。

★バル・ル・デュック観光案内所
www.tourisme-barleduc.fr
7, rue Jeanne d'Arc
55000 Bar-le-Duc


宿泊はとっても明るいマダムがいる居心地の良いGite(ジット 個人宅内の貸部屋みたいな所)。
シャンプーやせっけん等のアメニティは一切なし、朝食も自分たちで調達。
4部屋の貸し部屋に対して2つのキッチンがあるのでアパートホテルみたいな感じで、子連れには便利。
私たちが泊まったのはダブルベッドが2つある25㎡の広々した部屋(シャワールームも広い)でなんと49ユーロ。
広い上に安くてびっくり、清潔で快適でした。
★Gîte du Barrois
http://chambresmeuse.free.fr/
29 rue du Port
55000 Bar-le-Duc


昼食をとった「下の街」のレストランはQualité (質)とPrix(値段)が正比例してる上に美味しく、サービスが素晴らしかった。
★L'Escapade
108 Boulevard La Rochelle
55000 Bar-le-Duc

ついでにバル近郊に住んでいる友人のお母様のお家にもちょっとだけ寄らせてもらった。
南仏にもう一軒持ってらっしゃって、ヴァカンスで何度も使わせてもらってるのにお会いするのは初めてだったから、挨拶出来て良かった。
バル近郊の家も、南仏の家もアンティーク家具ばかりなので、色々質問していたら、「もう年だし一人暮らしだから家具を処分しようとブロカント屋に見積もってもらったら10サンチームでも引き取らないと言われたのよ、暖炉の薪にしろですって!あなた興味あるなら皿でも家具でも持って行ってくれない?」と言われたけど普通車に積めないほど大きな家具・・・。
1800年代後半以降の家具は、出回り過ぎていて価値がないんだそうです。

と、充実したバル・ル・デュック、街も人も想像以上に素敵だった。
「上の街」が素敵過ぎてもう一度行きたい。

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フランス北東部の旅⑥Varennes-en-Argonne

モンメディを後にして、バル・ル・デュックの宿泊先に向かう途中に寄ったのは、ヴァレンヌ・オン・アルゴンヌ。







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225年前、1791年6月の「ルイ16世一家ヴァレンヌ逃亡事件」逮捕の地。

ヴァレンヌ逃亡事件についてはこちら→





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街の中心部にあるノートルダム教会。
1914年~18年の戦時中にほとんど破壊されて再建された。




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教会入り口付近に事件の容貌が書かれたプレートがありました。





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教会の向かいのカフェ、「グラン・モナルク」。
革命当時は宿屋で、ここにモンメディへ向かう為の替え馬が用意されていた。





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国王一家はヴァレンヌに到着してから30分以上も替え馬の場所を探して彷徨っていた。
パリでも出発が遅れ、途中の街でも替え馬のトラブルだとか馬車の事故だとかで時間が取られ、モンメディに向かう予定時間はかなり遅れていた。





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カフェのすぐそばを流れるエール川を渡ると、ルイ16世通り。

革命後、共和国になってから国王の名前のついた通りや広場は改名されて、(例えば、パリのルイ15世広場は現在コンコルド広場に改名)存在しないと思っていたら、当のこの地に存在していたとは!
フランス革命当時は「バス・クール通り」だったので、近年になって改名されたんだと思う。






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ルイ16世通りの左手にある「ルイ16世の塔」と言われる時計塔。





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塔には2つのプレートが掲げられている。





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1791年6月21日23時と24時の間、昔、城の教会があったこの場所で、モンメディに向かうルイ16世一家をサント・メネウー(駅長)のドルーエとその仲間ギヨームと憲兵隊により逮捕。
その場所があった所に1793年、時計塔が建設された。
しかし1914年9月14日、敵(=第一次世界大戦中なのでドイツ軍のこと)により火災。
戦後、塔は建て替えられた。






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この塔は教会の手前にあった「宿屋 金の腕」の代わりに建てられた。
1791年6月21日、ここでドルーエ(サント・メネウーの駅長・革命派)がルイ16世一家を逮捕。





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塔の向かいにあるのは、ヴァレンヌの代訴人・食料品店を営むソースの家があった所。
ドルーエから連絡をもらっていたソースは、自分が国王を逮捕するのはおこがましいと、取り敢えず旅券を調べる為に時間がかかるので家に泊まるよう勧めた。





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6月21日の夜、ルイ16世一家はソースの家の2階で食事したり、睡眠を摂ったりして、翌日パリに向けて出発。
ここも第一次世界大戦中に破壊。





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革命当時の人口は1300人ほど。
現在は700人弱の小さな街での大騒動が想像できないほど今は静かでのんびりした街です。
いつか来てみたいと思っていたヴァレンヌ、念願叶いました。

実際に訪れてみて、当時の騒動を思いっ切り想像、妄想しました。
マリー・アントワネットが生涯の半分以上を過ごしたヴェルサイユ宮殿より、断頭台にひたすら向かう為に数時間過ごしただけのこの街のほうが、何か思うところがありました、行って良かった。

★アルゴンヌ地方観光局HP
http://www.tourisme-argonne.fr/


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フランス北東部の旅⑤Montmédy

3日目、ランを後にして向かったのは、アルザス・シャンパーニュ・アルデンヌ・ロレーヌ地方(Alsace-Champagne-Ardenne-Lorraine)、ミューズ県(Meuse)、ベルギーまであと10kmという所にあるモンメディ Montmédy。






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ヴォーバン設計の城郭が見たかったのと、1791年6月のルイ16世一家「ヴァレンヌ逃亡事件」の際の目的地だった街。
辿り着けなくてヴァレンヌで逮捕されてしまったけれど....。





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城郭の中まで車で行けます、ガタゴト音を立てながら2つの跳ね橋を渡り、狭いトンネルを潜って行くのはスリルがあって、車の中は大興奮。




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ちょうど正午だったので、城郭内にただ一軒のレストランで食事。
アンドゥイエットとか鶏のバスク風煮込みなどのフランス料理、普通に美味しかった。




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ここはメリメとヴィオレ・ル・デュックに見出されなかったせいか、廃墟が多く廃れたまま。
というよりは、戦争時に使用されていたから修復する間もなかったんだろうな。

夫が見学したいと選んだモンメディ、カルッカソンヌみたいにレストランや店がたくさんあって、活気あふれる所だと思っていたらしい。

カルッカソンヌはあまりにも観光地化して、店に目が行き過ぎてちゃんと城郭見学出来なかったから、モンメディの方が集中できて好きだなぁ。





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数えるくらいの住居と、教会、兵舎だった建物が現在は画家や陶芸家のアトリエになっているくらい。




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城壁に沿って一周するには、観光案内所で入場料を払い、入り口を鍵で開けてもらいます。
ベビーカーでもOKです。

大人 4,80ユーロ 
子供 2,50ユーロ





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3世紀に建設が始まり、17世紀にヴォーバンによって要塞が築かれ、一番最後の建設は1880年。




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山の向こう70キロメートル先はもう、ルクセンブルグです。
たった70km、一人旅だったら行ってたな。

独身の頃、ストラスブールに行った時、マリー・アントワネットは確か嫁ぐ時、ストラスブールとドイツのケール市の間のライン川に浮かぶ今は存在しない中洲みたいな所で、フランスへの受け渡し儀式をしたんだったなと、ストラスブールからケールまでレンタル自転車こいでライン川を渡った事がありました。
今はもうそんなフットワークの軽さはありません。





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1914年、第一次世界大戦でも使用された。

武器庫や砲台が納められていた所は、地下に下りていく階段があったり、ジメジメとかび臭いトンネルだったり、それらを抜けると下段の要塞に辿り着くといった風で、怖いけど探検気分。





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この辺りはヴォーバンらしい星型の要塞が残っています。




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要塞があるのがモンメディの「上の街」、下方に見えるのは中心部「下の街」。
上の街にはレストランが一軒あるだけで他に店もなく、水とか調達するところもない。
城郭を一周するには1時間半~2時間ほど要します、暑い日は日陰もないし、飲料水は下の街で調達してから行くことをお勧めします。

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フランス北東部の旅④Laon

2日目の午後は、パリから北東に130km、ピカルディー地方・エーヌ(Aisne)県の、二重の城壁に囲まれた高台にある中世の街Laon ランへ。







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5基の塔(元々は7基)が現存する丘の上のノートルダム大聖堂の大きさは圧巻。





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大聖堂前から出発するプチ・トランに乗って、45分掛けて街を一周して土地勘を得る。

観光局前から14時、15時、16時、17時出発。(4月1日~9月30日まで運行)
大人 6ユーロ
子供 4ユーロ(4歳以下は無料)





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1112年~1155年建設の初期ゴシック様式で、パリのノートルダム寺院やシャルトルの大聖堂の手本ともなった。
塔の高さは56メートル。






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聖堂内の80%がオリジナルのままという保存状態良好のステンドグラス。
バラ窓(北翼)も美しい。





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建設時に牛が活躍したという伝説があることから、南北の塔に2体ずつ牛の彫刻がある。





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観光局のある建物は、昔病院だった1170年建造のフランス最古の歴史的建造物。

★ラン観光局
Hôtel Dieu, Place du Parvis
Gautier de Mortagne
02000 Laon
http://www.tourisme-paysdelaon.com/





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大聖堂の北側は、左手に少し見える司教館と繋がっていて、カメラに収まりきれないほどの巨大さ。








大聖堂横は店が立ち並ぶ街のメインストリート。
素敵な看板が多い。




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サン・マルタン修道院。
1122年建造の初期ゴシック建築。





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1140年建造、ロマネスク様式の6角形に設計されているタンプル騎士団の礼拝堂 (Chapelle des Templiers)。
隣にはガリア時代の遺物などを展示している小さな考古学博物館がある。

32 Rue Georges Ermant
02000 Laon



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丘全体は、9世紀(9~10世紀にはフランス王国の首都だった)に建設が始まリ、13世紀まで拡張しながら建設が続いた城壁に囲まれている。





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街の南の入り口、アルドン門 (Porte d'Ardon)。






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アンリ4世が通ったことから「王の門」と呼ばれるソワッソン門 (Porte de Soissons)。
8世紀に建てられたが、13世紀に再建。

ソワッソン門を下った所にある「傾いた塔」 (La tour Penchée).
造られた当時はまっすぐ建っていて、段々と傾いてきたらしい。




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プチ・トランで通って、もう一度ちゃんと見たいと、車で再び訪れたのは南の高台に位置する1878年に造られた戦争時の砲台だった マルロ砲台(Batterie Morlot)。

Rue des creuttes
02000 LAON

砲台は公園にもなっていて子供達は帰りたがらないし、とても暑い日で、日は長いし、夜はここでピクニックにしようということで、食料を調達しに中心部に行き、またまたここに戻って来てのんびり過ごしました。

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フランス北東部の旅③Anizy-le-Chateauのブロカント

この日は祝日。
ソワッソンを後にしてラン(Laon)の街に向かう途中に、アニジィ・ル・シャトーのブロカントへ。





anizy le chateau

ソワッソン近辺で3ヶ所ブロカントをやっていて、シャトーという名前に惹かれて選んだ街だったけど、新興住宅地内の小さなヴィッド・グルニエだった。





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ル・クルーゼの直径20センチのレギュミエ。





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でも、蓋が絶対「これじゃない感」。
蓋がないとか、違う蓋とか嫌だなぁとかなり迷ったけど、レギュミエ自体滅多にお目にかからないので思い切って買うことにした。
しかもいつもなら絶対に買わないような値段、旅に出ると財布の紐が緩くなるってこういうことか。




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本来のレギュミエの蓋が壊れたか、なくしたかでココットロンドの蓋を合わせました、みたいな感満載。








耳たぶみたいな取っ手が特徴。
未使用と言われた通り傷一つなく綺麗、でも蓋はホーローが剥げてたり、傷があったり....やっぱりツギハギなのか?





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いや、でもよく見ると、思い込みかな、内側の色も同じだし、蓋も本体も同じような赤のグラデーションで、もしかしたら本当のセットなのか?という気もしてきた。
サラダボールみたいな使い方もできるし、蓋はもうどうでもいいかな。

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