フランス南西部の旅⑥Alet-les-bains ノストラダムスの家と中世の街並み
アレ・レ・バンの教会と街散策へ。
この街、ユダヤに関するものとか、ノストラダムスの家とか、六芒星のマークだとかがあちこち溢れていて、中世の街並みと相まってなんだか謎があるようなミステリアスな街でした。
アレの少し南、ブガラッシュ (Bugarach)村は2012年12月21日(古代マヤ文明が終わる日)に地球が滅亡する際、唯一生き残れる場所と噂されたことで有名。
なんでもブガラシュの山の地層は、上の方が古く、下の方が新しいという不思議な現象からそう言われるようになったそう、2012年地球が滅亡することはなかったけど、地層のことはとっても不思議。
この辺り、そんな噂も信じてしまいたいくらいミステリー感漂う地方です。
廃墟の修道院の隣に建つ14世紀に建設が始まったゴシック建築のサン・タンドレ教会。
窓のデザインが六芒星。
古文書によるとユダヤ人によって発注されたんだそう。
カトリック教会じゃなかったってことなんでしょうか?
Église Saint André
55 Rue du Séminaire
11580 Alet-les-Bains
歪んだタンパンが古さを感じさせます。
入り口の所には宗教戦争で使われた砲弾が展示してありました。
内陣。
ダヴィデの星ともソロモンの印(Sceau de Salomon)とも呼ばれる六芒星の中に描かれているのは、聖母マリアを描く絵画の守護聖人である福音伝道士リュック (Saint Luc)。
14世紀のフレスコ画。
修道僧の生活が描かれている。
聖ブノワ礼拝堂の天井にも六芒星。
14世紀のフレスコ画が教会のあちこちに残っている。
アレの司教を40年務めたニコラ・パヴィヨンの肖像画。
教会を出て郵便局兼観光案内所斜めのセミネール通り (Rue Séminaire)から街の中心部レピュブリック広場 (Place de la République)へ向かいます。
La porte de la maison Bousquet rue Séminaire
セミネール通りのブスケ家の石の装飾は17世紀のもの。
レピュブリック広場からカデーヌ通り ( Rue Cadène) を見たところ。
張り出した木組みの家々は15~16世紀のもの。
こちらもレピュブリック広場に面した木組みの家。
左端の家、マルベック通り(Rue Marbec)との角にあるのはノストラダムス 本名ミシェル・ド・ノートルダム (Michel de Notredame 1503-1566)が住んでいたと言われている家。
ノストラダムスの祖父母がアレに移住してきて、ノストラダムスもここに数年住んでいたそうだ。
今では普通の民家なので外だけ静かに見学します。
ユダヤ人だったノストラダムスの父方の祖父は15世紀半ばにカトリックに改宗、名前もクレカ・ド・カルカソンヌからピエール・ド・ノートルダムに改名している。
祖母はカトリック。
Notre-Dame d’Alet (ノートルダム・ダレ)→ Nostradamus(ノストラダムス)と言われるようになったんだそう。
ノストラダムスという名はアレの街の名から派生したという、へぇーとなった話です。
何回ノートルダム・ダレを言ったらノストラダムスとなるのか思わず試してみました・・・、ならなかった。
この家には謎の木彫りがある。
また六芒星。
こういう謎なマークがいかにも占星学者ノストラダムスっぽいけど、星の所には「1642」とあるらしく、誰かが1642年に彫ったものらしい。
ノストラダムスが亡くなったのは1566年。
もう一つあって、こちらには十字と魚。
観光案内所でもらった資料に載っていた街の地図。
ピンクが修道院→8番のノストラダムスの家への行き方(案内書の人が書いてくれた)。
青が、街の主な通り6本がレピュブリック広場に集まっている、それはまるで六芒星…。
ここまで計算されてるの?とぞわっとしました。
雨降り日には最適と思ってしまうほど張り出しがずいぶんせり出ている家。
ノストラダムスの祖父もそうだったようにユダヤ人のコミュニティがあったのは確かなようですが、なぜアレにユダヤ人の足跡があるのかはまだ分かっていないらしい。
写真では分かりにくいけど、右手の壁に通りの名前が書いてあります、Rue de la Juiverie ユダヤ人通り。
廃墟とか六芒星とか占星術師が住んでた木組みの家とかもうまるで21世紀ではないところを歩いているような感覚に陥ってしまうほど、中世で時が止まったような通りばかりでした。
カルヴィエール門 (Porte Calvière) を出て散策終わり。
修道院で降り始めた雨は、ノストラダムスの家へ向かう頃には土砂降りの雨に嵐のような突風まで吹いて、路地をくまなく歩きまくることは諦めたのです。
街には冷たい源泉が2か所あるそうだけどそこも、この後行く予定だったレンヌ・ル・シャトーも、レンヌ・レ・バンの川の源泉でお湯に浸かるのも断念。
この後は叩きつけるような雨で視界も真っ白な中、くねくねの山道を通りペルピニャンへ。
夫は運転大変そうだったし、私は車酔いするしできつかったけど、ここにはまた絶対来たい。
読んで頂いてありがとうございます。
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