Ma Petite Brocante

フランスのブロカントで訪れた街、ブロカントで見つけたお気に入り、時々美味しい物も紹介します
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Rozay-en-Brie のブロカント・路上観察とレードル

2013年9月1日(日)の2か所目は、パリの南東50㎞のロゼイ・オン・ブリー。
古い通りに古い建造物が並ぶ好きな街のひとつ。


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街の中心部にあるフロマージュ通り。 
通りの真ん中には「路央下水溝(caniveau axial)」が、左側の建物の壁には1830年頃までに設置された「レヴェルベール灯」(オイルランプ。
その後時を経てオイル→ガス→現在は電気灯)が見える。
これに「馬車よけ石」が残っていたら18世紀のフランスそのまんま。

鹿島茂著「パリ時間旅行」の中に、18世紀の路央下水溝について書かれた箇所があるのでかいつまんで抜粋すると、
「道路の両端から真ん中にかけてV字の傾斜があり、真ん中にどぶが走っている。道路は一面真っ黒な泥で覆われていて、たいていの家庭には下水もトイレもなかったから、壺にたまった排泄物は夜になって窓から道路に投げ捨てるのが習慣になっていた。排泄物ばかりか生ごみまで投げ捨てるためすぐに下水溝は詰まり、雨でも降れば道路の真ん中はたちまち洪水のようになった」


16世紀までは下水溝の蓋さえもなく、石井洋二郎著「パリ-都市の記憶を探る」の中には、
「パリのサン・ドニ通りからサン・マルタン通りまで走る露出した下水溝に蓋がかぶせられたのは17世紀、1605年のことである」
とある。



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ナポレオン3世(1808-1873)の治下、19世紀半ばにパリ大改造を行ったオスマン男爵の命令により大改造の工事前、工事中、工事後の写真を撮ったシャルル・マルヴィル(1813-1879)の写真には路央下水溝が多く見られる。
写真は1865年頃に撮影されたパリ6区のCour du Dragon(レンヌ通りとドラゴン通りの間にあったパサージュで、1926年に壊されて現存しない)




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この写真は同じくクール・ドゥ・ドラゴンで、1900年頃にウジェーヌ・アジェ(1857-1927)によって撮影されたもの。

こういう写真を見ているだけでバルザックの小説の中にタイムスリップした気分になる、が、泥と排泄物と悪臭にまみれたパリ。
現代でもフランス人はごみをポイポイ通りに投げ捨てるし、小路やメトロの構内は排泄物の悪臭が漂っている。
オスマン男爵の「外科手術」のお蔭で「花の都パリ」の基礎が出来上がったものの衛生観念は変わってないということか。





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クール・ドゥ・ドラゴンの入り口のファサード(正面)にはドラゴンの彫刻があり、それは1926年の破壊をまぬがれた後、ルーブル美術館に保管。
写真は1990年代にドラゴンのレプリカが取り付けられた現在のドラゴン通り。





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街には昔の城塞が残っていて・・・、いや、いい加減ブロカントの話を。
城塞の先がブロカント会場。





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ここで見つけたのはホーローの穴あきレードル。
朱色がかった赤。





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春のブロカントで買った赤いレードルの兄弟みたい。
これらを掛けるラックを探しているのだけどなかなか見つからない。
赤いラックに白の市松模様とか、白地に赤線の入ったラックが見つかれば完璧!

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